身も心もとろける、大磯で上質な休日を[海水浴場発祥の地]

Cedyna News for Premium Members 8月号より

日本文化の礎となったモノ・コトの発祥の地をご案内する『あのモノ・コトのうまれたトコロ』。
盛夏の候にご紹介するのは、海水浴場の発祥といわれる大磯。明治時代に医師・松本順の尽力で、日本に初めて誕生した大磯海水浴場です。

医療行為としてスタートした海水浴は、やがて日本の夏の代表的レジャーに発展しました。そして現代、海水浴場発祥の地・大磯では、ホテルスパという新しい形の「海水浴」が、大人の休日を優雅に彩っているそうです。(発祥の地については諸説あります。)

美しい海と、 別荘文化

太陽が輝く真夏。レジャーといえば、海水浴やマリンスポーツを思い浮かべる方は多いだろう。日本全国の海岸にはパラソルや海の家が並び、家族や友だちと海の休日を楽しむ人々でいっぱいになる。そんな海水浴が、もとは健康の回復や増進を目的としていたことを、ご存じだろうか。

すでにヨーロッパで広まっていた、海に浸かることのリハビリ的な医療効果を、日本にも取り入れようと提唱したのが医師の松本順。幕末から明治にかけて活躍し、初代陸軍軍医総監を務めた、当時の医学界の最高権威だ。1885年には、大磯・照ヶ崎海岸を理想の地として、自ら海水浴場を開いたという。

大磯港

大磯港

南は相模湾、北は高麗山と鷹取山と、豊かな自然に囲まれた大磯。過ごしやすい気候と美しい海岸が広がる、湘南の奥座敷。この大磯の海岸一帯は、万葉の時代から歌にも多く詠まれた名勝の地。
ことに照ヶ崎海岸は、「関東の富士見百景」にも選ばれている。玉砂利のような砂礫(されき)の浜で、江戸時代には美しい五色のさざれ石が名物とされ、盆栽に入れて楽しんだという文献が残っているほどだ。

アオバト

アオバト

この照ヶ崎海岸は、現在では磯遊びの浜として、そして春から秋にかけては、鮮やかなオリーブグリーンの羽を持つアオバトが、数百羽にも上る群れで飛来する場所として知られている。
さらに「大磯照ヶ崎のアオバト集団飛来地」として、神奈川県の天然記念物に指定されている。アオバトの海水を飲む姿は有名だ。丹沢山地から、塩分やミネラル補給のため海水を飲みに来るのだが、これは世界的にも稀な現象らしい。砕ける波を避けて飛ぶアオバトたちの舞は華やかで、一見の価値がある。写真を撮りに来るファンも多い。

めしや大磯港「地魚の刺身」

めしや大磯港「地魚の刺身」

隣接している大磯港内の、漁協直営「めしや大磯港」では、湘南ならではの美味との出会いが楽しめる。魚好きが遠くから通って来るという名店で、その日の朝に揚がった地魚だけを提供するため、何が食べられるかは行ってみてのお楽しみだ。
ランチで一番人気の「刺身定食」は、6種類の刺身にフライや小鉢などがつく充実ぶり。窓の外には灯台が見え、港町らしい雰囲気も味わえる。潮の香りが心地いい。

進化する、 保養リゾート

旧吉田茂邸

旧吉田茂邸

海と山に囲まれた自然あふれる大磯には、海水浴に端を発し、明治から大正、昭和にかけて、多くの政財界人や文人の別荘地・保養地として愛されてきた歴史がある。
海沿いを歩めば、伊藤博文や大隈重信など明治の重鎮たちの旧宅が集まっている「明治記念大磯邸園」が。さらに歩を進めれば、旧三井財閥別荘跡地と旧吉田茂邸跡地を整備した「大磯城山公園」が見えてくる。

かつて三井家別荘に置かれていた、国宝の茶室「如庵(じょあん)」(愛知県・犬山城下に移築)を模した「城山庵」や、大磯町郷土資料館などが点在し、ゆるやかな坂道の先の展望台からは、富士山や箱根連山、相模湾などが一望できる。

また国道を隔てた地区には、昭和の名宰相とうたわれた吉田茂が晩年を過ごした邸宅(再建)と、よく散歩していたといわれる日本庭園、彼が好んだバラ園などが配されている。引退後も多くの政治家が「大磯参り」を行い、没後には日米首脳会談が実施されるなど、近代政治の表舞台としても利用された。大磯の別荘文化を体現する建物の一つといえるだろう。

旧吉田茂邸は、近代数奇屋建築風の総檜造り。建築家吉田五十八の設計のもと、京都の宮大工により建設された(再建)。内部も公開されている。

「THERMAL SPA S.WAVE(サーマル スパ エス ウェーブ)」

「THERMAL SPA S.WAVE(サーマル スパ エス ウェーブ)」

大磯プリンスホテル

大磯プリンスホテル

旧吉田茂邸の先には、この地の代名詞のような「大磯ロングビーチ」が広がる。大磯プリンスホテルの誇る、巨大プールを中心としたレジャー施設だ。
しかし近年、同ホテルにはもう一つのスペシャルスポットが誕生した。「日常から解放された、ゆらぎの旅へ」をコンセプトにした、大人のラグジュアリースパ「THERMAL SPA S.WAVE(サーマル スパ エス ウェーブ)」である。

冒頭の写真でも紹介したこのスパでは、温度や季節、時間などの、移りゆく環境の変化に身をゆだね、からだと心を解放していくことを、「ゆらぎの旅」と表現。健康に役立つという、海水浴の本来の意味を踏まえれば、スパとは新しい形の大人の「海水浴場」といえるのではないだろうか。

ここで特に人気の高いのが、海と一体になるような、水平線に溶け込むようにデザインされたインフィニティプール。湘南の風を感じながら眼下に広がる太平洋を一望できるジェットバスも、開放感に満ちている。夜になると、黒い海とライトアップされた空間が、昼とはまた違った大人の表情を見せる。

「大磯温泉」源泉の露天風呂

「大磯温泉」源泉の露天風呂

テーマの異なる6タイプのサウナでは、姿勢や温度・湿度をさまざまに変えながら、文字通りゆらぎの旅が楽しめる。サウナ愛好家が使う用語に「ととのう」という表現があり、心身ともに整った状態を指すが、ここでは富士山と太平洋の絶景や、アロマの香りに包まれての瞑想など、プラスアルファの「ととのい」を提供している。

バーにはシャンパンやワインの他、各種ドリンクが用意されていて、サーマルテラスで楽しむこともでき、海辺の休日に、優雅なくつろぎの時間を演出してくれる。

バー

リラクゼーションエリアのバーでシャンパングラスを傾けたり、からだを温める塩分を含むオーシャンビューの天然温泉を堪能したり。大人のための非日常を体感する空間には、極上のくつろぎが約束されているようだ。

大磯港

大磯港

小石の多い浜続きの地形から、大磯の名の由来ともなった照ヶ崎海岸。かつては海に突き出た岩場だったが、現在は大磯港が造られている。

明治の世に、海水療法のために大磯で始まった海水浴は、時代と共にレジャーへと変化し、日本人の健康促進に貢献してきた。そして今、アオバトさえも保養にくる大磯には、スパという進化した「海水浴場」が誕生。癒しと憩いの保養リゾートとして、その存在を輝かせ続けている。

海水浴場 発祥の地
神奈川県大磯

昭和初期の大磯の海辺

昭和初期の大磯の海辺

近代の海水浴は、18世紀にイギリス人医師ラッセルが医療技術として発表し、ロンドン郊外のブライトンに海水浴場を開いたことから始まる。
日本でも、その効用に着目した医師・松本順が、波が強く塩分が多いなどの諸条件から、理想の海として大磯海水浴場を開設して転地療養を推奨。温暖な気候に加え、1887年の大磯停車場(現大磯駅)開業もあり、要人や著名人の保養リゾートとして発展した。
写真は昭和初期の、大磯の海辺の様子。海水浴は一般大衆のレジャーとなり、家族連れなどの大勢の客で賑わっている。