姫山の地に初めて砦が築かれたのは1333年。赤松氏の時代といわれています。以来13氏・48代が城主を務め、戦塵にまみれることなく今日に至る姫路城は、1993年に奈良の法隆寺とともに日本で初めての世界文化遺産に登録されました。徳川家康の孫娘千姫ゆかりの城であったり、播州皿屋敷の舞台「お菊井戸」があったりと、季節を問わず訪れる人を楽しませる観光の名所です。
どこから見ても美しい「八方正面」と称される姫路城、世界遺産フォトグラファー・三田崇博氏も何度も足を運んだといいます。美しい姫路城と満開の桜、三田氏入魂の写真とともに、姫路城の歴史とまつわる文化の一面をご紹介します。
桜色に染まる、春の姫路城
白鷺が羽を広げて舞っているように見えることから、白鷺城とも呼ばれる姫路城。その麗しくも優美な姿は、日本を代表する名城として広く知られている。奈良の法隆寺とともに日本初の世界文化遺産に登録され、海外からも人気が高い。
また、江戸時代以前に建設された天守が保存されている現存天守12城のひとつでもある。大河ドラマなどでおなじみの軍師・黒田官兵衛が、羽柴秀吉の毛利攻めの拠点として三重の天守に改築。さらに藩主となった池田輝政により、五重7階の大天守と三つの小天守に建て直されたという。渡櫓(わたりやぐら)で結ばれた連立式天守は、幾重にも屋根が重なり、華やかのひと言。
最寄りの姫路駅を出ると、遠くにその姿をあらわし、歩くほどにはっきりと浮かび上がってくる往時のままの姿は、時を遡っているかのように思える。2015年に終了した平成の大修理で鮮やかさを取り戻した白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめづくり)の城壁は、まばゆいほどだ。国宝の天守をはじめ、櫓(やぐら)や門などの74もの建造物が重要文化財。日本100名城に名を連ね、歴史的にも学術的にも貴重なのはもちろん、美しさでもまた並ぶものがない。石造の城壁と土塀をめぐらせる、日本の城郭建築を代表する姫路城。白鷺城とも称される、その完成された美もまた日本文化の極みである。
内外に、三重もの濠(ほり)。広大な敷地を持ち、入場口から天守まででも、かなりの距離がある。西日本の要所としての重要な役割を担った城らしく、戦(いくさ)に備えてのものなのだろう。いくつもの分厚い門を抜け、石垣に囲まれた長い長い坂を歩く。大天守にも、上りにくい急な階段や、敵の不意を突くための武者隠しなど、随所に合戦に備えた仕掛けが見られる。
それでいて姫路城は、その400年の歴史の中で戦にまみえることなく、近代の戦災に遭うこともなかった「不戦・不焼の城」。他では見られない遺構が多い、文字通りの文化遺産なのだ。
最上階には、天守が建つ姫山の地主神(じぬしがみ)が祀られている刑部(おさかべ)神社があり、手を合わせた。江戸時代から姫路城には刑部姫と呼ばれる女性の妖怪が棲むという伝説があり、複数の古い書物や怪談集などに登場している。泉鏡花の戯曲の中でも傑作と名高い『天守物語』は、この言い伝えから生まれている。そこに描かれたのは、美しき魔性の姫と、若き鷹匠との幻想的な恋。ロマンティシズムあふれる鏡花の物語も、城の魅力のひとつに数えられるだろう。
天守を下りて、カメラを構える。姫路城と桜は、とても日本的な絶景のひとつだ。何度も撮影に通っているが、偶然にも4月6日の「城の日」の頃に満開を迎えることが多い。
観光客で混雑して場所取りに苦労するが、最近は絶妙なバランスのスポットを見つけた。白い城と赤い橋との対比がすばらしく、それらを囲むように薄紅色の桜が包み込み、まるで一幅の絵のようだ。そこに内堀を巡る観光学習船を配すると、完璧な一枚となる。この観光学習船は、姫路藩で利用されていた和船を復元したものだそう。次はぜひ和船に乗って、城主が船遊びをした優雅な雰囲気を味わいながら、この夢のような光景を眺めてみたい。
西隣りには姫路城を借景(しゃっけい)に、「姫路城西御屋敷跡庭園 好古園(こうこえん)」が広がっている。武家屋敷跡につくられた、池や水の流れで結ばれた池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)の日本庭園で、その面積は約1万坪。それぞれ雅な名を持つ九つの庭を楽しむことができる。
最初に足を踏み入れるのは、藩主の下屋敷があったという「御屋敷の庭」。奥には滝があり、深山幽谷の趣さえ感じさせる。歴史と自然の調和がすばらしい。「茶の庭」では、本格的な数寄屋建築の茶室で抹茶を一服。どこを見ても日本庭園の様式美が凝縮されたような景色で、ただ美しい。四季折々の花が楽しめ、春には桜が咲き誇る。花びらを散らす風を頬に受け、流れる水の音に耳を傾けていると、心がほどけていくようだ。