世界平和の叶う日へ祈りを、原爆ドーム 広島県 原爆ドーム

Cedyna News for Premium Members 2月号より

1945年8月6日世界で初めて原子爆弾が投下された都市。75年間は草木も生えぬといわれたその地は、豊かな自然に恵まれ、美しい川が流れる水の都へと素晴らしい復興を遂げています。
原爆や戦争の実相を学び、世界平和を考える地として、修学旅行の名所としても知られる広島市。世界遺産フォトグラファー・三田崇博氏も小学校の修学旅行で訪れたことをとても鮮明に記憶しているといいます。大人になり、世界遺産フォトグラファーとして改めて訪れる「原爆ドーム」。美しい平和記念都市を巡る一日をご紹介いたします。

平和への思いを新たに

1996年に、世界文化遺産として選ばれた、広島市の「原爆ドーム」。核兵器の廃絶を願う「ノーモア・ヒロシマ」のシンボルとして有名だ。よく“負の世界遺産”と称されるが、広く世界平和を願う記念碑としての登録である。

もとは1915年にチェコの建築家ヤン・レツルの設計により建てられた、広島県物産陳列館。当時はまだ珍しかった西洋建築で、緑色のドーム天井に象徴されるモダンな美しさと相まって、広島名所だったという。
爆心地の至近距離にあり、爆風と熱線で大破・全焼しながらも、奇跡的に骨組みや壁の一部は残存。戦後、被爆体験を伝える貴重な建物として、崩壊したまま保存されることになり、いつしか原爆ドームと呼ばれはじめた。確かにこの姿を目にすれば、平和への思いを新たにしない者はいないだろう。

原爆ドームと平和の灯

原爆ドームと平和の灯

元安橋(もとやすばし)を渡り、対岸の平和記念公園に足を運ぶ。広大な園内には、原爆ドームを含めて数々のモニュメントが配され、その中の一つである日本の音風景100選にも選ばれた「平和の鐘」の音が、祈る人の手によって響き渡る。また恒久平和への願いをこめて1964年8月1日に点灯された「平和の灯」は、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けられると聞く。
中央には、32万人を超える犠牲者の名簿が納められた「広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)」。折鶴や花に飾られ、今日も御魂を守っている。広島平和都市記念碑のアーチ越しに、原爆ドームと平和の灯を写真に納めた。世界の恒久平和を願い、原爆死没者を追悼するための、平和記念公園らしい風景だ。

実は、ここには小学校の修学旅行で来た時の記憶が、未だに色濃く残っている。それは、原爆資料館として知られる「広島平和記念資料館」を見学した際の恐怖であり、被爆者の方の話を聞いて子供ながらに思い知った戦争の悲惨さである。遺品をはじめ、被爆の惨状を示す写真や資料を見るのは、大人になった今でも胸を締めつけられるようだ。決して風化させてはいけないと、改めて心に刻んだ。

水の都を巡って

ハノーバー庭園

ハノーバー庭園

平和記念公園のほど近くには、「ハノーバー庭園」が広がる。1983年に姉妹都市となった広島市とドイツのハノーバー市との友好関係を祝して1980年につくられたものだ。同市は広島と同じく第二次世界大戦で壊滅的な被害を被っており、共通する平和への願いから交流を重ねてきた。
ハノーバー市には、ヨーロッパでも指折りといわれる「ヘレンハウゼン王宮庭園」があり、このフランス式庭園の花壇の一部を模して造園され、同市の紋章を表現したものとなっている。ハノーバー市もまた、同じように市内に日本庭園(茶庭)を整備。ビルが立ち並ぶ都会の中の緑あふれる空間は、ともに復興を遂げた両市の、明るい未来の象徴のようにも思える。

広島城

広島城

さらに足を進めると、「広島城」が見えてくる。水堀越しに見る天守の美しさは格別で、日本100名城のうちに数えられるのが頷ける姿だ。1589年に、豊臣秀吉の五大老のひとり、毛利輝元によって築城。福島正則、浅野長晟(ながあきら)と城主を変えながら、中国地方最大の都市として発展する広島を見守ってきた。
築城以来の天守は国宝だったが、残念ながら原爆により倒壊。1958年に広島復興のシンボルとして外観が復元され、現在は歴史博物館となっている。
二の丸や表御門、櫓(やぐら)などの城郭建築も、すべて以降に再建されたものだという。別名 “鯉城(りじょう)”が、プロ野球チーム「広島カープ」の名前の由来となった。市内を一望する展望室からは、晴れた日には宮島の山並みも見渡せる。こうして眺めると、広島市は美しい街だ。

また6本もの川に囲まれ、広大な中州のような地形から、「水の都」とも呼ばれる。中四国地方最大の人口を誇り、100万都市でありながら地下鉄がないのは、これが理由である。日本一の路面電車の街といわれるが、川の遊覧船や定期船も盛んに運航されている。

ひろしまリバークルーズ

ひろしまリバークルーズ

城から原爆ドームすぐ近くの元安桟橋まで戻れば、「ひろしまリバークルーズ」の乗船場がある。観光ガイドの声に耳を傾けながらの水上散歩は、広島ならではの楽しみ方。観光名所を巡って約25分というのも手軽だし、川面から眺める街並みは、知っている場所でも違った表情を見せてくれる。そのためか、乗船客には市民も多いらしい。四季折々の風景を堪能できるので、機会があれば乗ってみることをおすすめしたい。

郷土料理に癒される

広島のお好み焼

広島のお好み焼

さて広島市に来たならば、名物であるお好み焼は絶対に食べたい。お好み焼は関西に住む私にとって大好物。広島では、生地の上に麺や肉、キャベツなどの具を重ねて焼き、甘いソースで食する。基本は中華麺だが、うどんやパスタ、蕎麦の場合もあるらしい。生地と具を混ぜ合わせて焼く関西とは、風味が一味違い、一度食べると病みつきになる。関西でも人気のようで、最近はメニューで見かけることが多くなった。

広島県民のソウルフードだけに、呼び方にはこだわりがあるらしい。「広島焼き」は論外で、「広島風」もできれば避けたい。あくまで「広島のお好み焼」なのだという。テレビ番組で「広島焼き」というテロップが流れた時に、抗議が相次いだというエピソードもあるほど。ここまで愛される郷土食も、少ないだろう。

旅を終える前に、もう一度原爆ドームを眺めに行く。

広島リバークルーズ
カフェ ポンテ「焼ガキのエスカルゴ風」

カフェ ポンテ「焼ガキのエスカルゴ風」

平和記念公園を望む水辺にある、本格イタリアン「カフェ ポンテ」のテラス席が、ちょうどいい。ここは、厳選した広島の食材を使った料理が自慢の店、パスタやピザをはじめカキ料理が多彩に楽しめる。「焼ガキのエスカルゴ風」の濃厚な味わいは忘れがたい。
供された1~2月が旬のカキは、全国の出荷量の約60%を占める名産で、ふっくらと肉厚で実にうまい。広島のカキ養殖の歴史は古く、始まりは室町時代後期といわれる。ワインを傾けながら、カキ料理とともにゆっくりと広島の歴史をも噛みしめる。

平和記念都市として未来を見つめる

原爆ドーム

戦時下の軍港の町・広島県呉市を舞台に、懸命に生きていこうとするヒロインの日常を描いたアニメーション映画『この世界の片隅に』には、被爆だけではない戦争の悲劇が描かれていた。それでも、明日への希望を示したラストは、未来を見据えて歩みを続けた現在の広島と重なるように思う。
市長の発案で創設された「平和首長会議」には、160を超える国から8,000以上の自治体が加盟している。原爆ドームが、核兵器の廃絶を願うだけではなく、願いを叶えた記念碑となる日を信じたい。

今回登場した作品

映画 この世界の片隅に

原作は、第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した、こうの史代の同名コミック。「戦争と広島」をテーマに描かれたアニメーション映画だ。公開後は口コミやSNSで評判が広まり、公開館が増えていく異例のロングラン上映を成し遂げた。
第90回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位をはじめ、受賞多数。100年先まで伝えたい珠玉の名作として、今日も上映され続けている。