雲海に抱(いだ)かれて、神さぶる吉野 紀伊山地の霊場と参詣道

Cedyna News for Premium Members 1月号より

吉野山は古代から山岳信仰の対象であり、修験道の霊場とされてきました。霊場「吉野・大峯」と「熊野三山」を結ぶ修行の道は「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」と呼ばれ、今日でも修行が行われています。この修行道はじめ、吉野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」は、2004年にユネスコ世界遺産に認定されました。
吉野山は山全体が世界遺産として登録されており、金峯山寺(きんぷせんじ)をはじめ、世界遺産に認定されたいくつもの建造物を徒歩で回れることも魅力です。世界遺産フォトグラファー・三田崇博氏もこの魅力に誘われ幾度となくこの地を訪れたそうです。その中でも一番感慨深い一日、貴重な体験が叶った旅路をご紹介いたします。

今も色濃く残る、 修験道の文化

万葉集に「神(かむ)さぶる 磐根(いわね)こごしき み吉野の 水分山(みくまりやま)を 見ればかなしも」と詠まれた吉野山。「神さぶ」とは神々しいの意で、水分山をゆく旅人の心情を表現したものだ。現代でも、吉野山の奥深くにわけ入れば、どこか荘厳とした気配が漂う。古(いにしえ)には、まさに神域を思わせたことだろう。

花矢倉展望台は、その吉野山を代表するビュースポット。標高570mに位置し、奈良と大阪の府県境にある金剛山までをも望む大パノラマがすばらしい。吉野といえば桜の名所だが、桜以上に貴重ともいえるのが、気象条件が重ならないと見ることができない雲海だ。その風景は、見るものを夢幻に誘う。

幸い奈良県住まいのため、幾度となく足を運んだ。日の出よりも前に到着しなければならず、この時期の寒さは辛く身にしみる。そうして雨あがりのある日、じっと待ち続けていると、ただ一瞬、裾野から湧きあがる雲の海に南朝妙法殿(なんちょうみょうほうでん)が姿を現した!天空に浮かぶ神々の世界をとらえ、感動でシャッターを押す指が震えた。まだ日も差さぬ早朝、白く煙る雲海の中に南朝妙法殿(吉野朝宮跡)が浮かび上がる。冒頭の写真は、その神さぶる地をとらえた一枚だ。

南朝妙法殿の建つ吉野朝宮跡(よしのちょうぐうあと)は、吉野に落ちのびた後醍醐天皇が行宮(あんぐう)と定め、悲運の生涯を閉じた場所である。日本史の記述にしか残っていない南朝が、確かにこの地に在ったのだと、当時に思いを馳せると感慨深い。

金峯山寺 新春大祭

金峯山寺 新春大祭

もともと吉野・大峯地域を含む紀伊山地は、古代から山岳信仰の対象であり、多様な信仰が育まれた地だ。同じく霊場である高野山と熊野三山、これらを結ぶ巡礼路とともに「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産にも登録されている。

ことに吉野には、山岳信仰をベースに仏教や道教、陰陽道などが融合した、日本独自の宗教・修験道の文化が色濃く残る。その修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が創立したのが、吉野山のシンボルである金峯山寺(きんぷせんじ)。修験本宗の総本山として、全国の修験者・山伏が集う中心寺院となっている。

世界遺産の蔵王堂(国宝)や仁王門(国宝)など見所は多いが、金峯山寺では季節ごとに興味深い歳時を催している。蔵王堂から西方の谷あいに位置する、脳天大神龍王院(のうてんおおかみりゅうおういん)では、毎年1月19日に「脳天大神新春大祭(のうてんおおかみしんしゅんのたいさい)」が開催される。
山伏が打ち揃い脳天大神龍王院の境内で採灯大護摩供(さいとうだいごまく)が行われ、天下泰平・万民安楽などが祈念される。参拝者が参加できる、縁起物の福引もうれしい。首から上の病気や、試験にご利益のある神さまなので、受験生にはおすすめだ。

節分会(せつぶんえ)・鬼火の祭典

節分会(せつぶんえ)・鬼火の祭典

また2月頭には、蔵王堂で「節分会(せつぶんえ)・鬼火の祭典」が行われる。全国から追われてきた鬼を救う珍しい節分行事で、役行者が仏法を説いて鬼を弟子にしたという故事にならっていると聞く。
「福は内、鬼も内」と唱えて迎え入れ、経典の功徳や法力、信徒のまく豆で平伏させ、改心して仏門に入った喜びの「鬼踊り」が披露される。改心して踊りだす様子には、拍手喝采。これが実に楽しくラストの福豆まきでは、加持祈祷された福豆を拾うことができた。
寺周辺の吉野町では「鬼火の祭典キャンペーン」も催され、地元あげてのお祭りとなっている。

葛(くず)は世界に誇る、 吉野ブランド

吉野本葛きり

吉野本葛きり

吉野の名を冠した物産の中でも、葛は代表格のひとつ。多くの歌人が歌に詠み、漢方薬に利用され、安土桃山時代以降は茶席の菓子にも用いられた有用な食材だ。古くから地域に自生し、精製に適した寒冷な気候と良質な水に恵まれ、名産地として知られてきた。江戸時代中期には、すでに高い品質評価を得ており、葛粉を使った料理は「吉野仕立て」と呼ばれている。

葛の根に含まれるデンプンを、厳寒期に冷水に繰り返し晒(さら)して精製する伝統製法・吉野晒しは、現在でも変わることはない。さらに何ヵ月もかけて、じっくりと自然乾燥させる。そんな吉野葛を、今回あえて登場作品として紹介したい。生み出すのにかかる大変な手間と時間、菓子や多彩な料理に展開した歴史を思えば、世界に誇るオリジナル作品といえるだろう。

実は葛自体はどこにでも生え、植生は沖縄を除いた日本列島に広く分布する。そのありふれた存在を慈しみ、守り育ててきたのが吉野の人々なのだ。

葛屋中井春風堂 「吉野本葛餅」

葛屋中井春風堂 「吉野本葛餅」

蔵王堂前にある、「葛屋中井春風堂」を営む葛菓子職人・中井孝嘉氏も、生粋の吉野育ち。葛に惚れこみ、もっと学び、深め、その魅力を多くの人に伝えていきたいと語る。
それだけに、葛粉100%である吉野本葛(「吉野葛」は芋類のデンプンを配合)にこだわり、店内限定で供される葛餅と葛切りも、吉野本葛と水だけでつくられる。そして葛餅も葛きりも、つくり置きはしない。本当においしい賞味期限は、わずか10分だからだという。滑らかさ、やさしい弾力、薬効成分とそれに付随する独特の苦みなど、葛のすべてを味わえる逸品だ。
透き通ったきらめきは食べるのがもったいないほどで、これほど美しい食材は他に思いつかない。

豆富茶屋 林「湯豆腐膳」

豆富茶屋 林「湯豆腐膳」

また吉野の良質な水の恵みは、葛に留まらない。「豆富茶屋 林」では昔ながらの伝統的製法と産地にこだわった国産大豆、そして柔らかな奥吉野の水でつくられた濃厚な豆腐を楽しむことができる。
真冬の金峯山寺の散策で、冷え切った体を温める「湯豆腐膳」に舌鼓を打つ。コクや甘みを強く感じるのは、豆腐そのものにたくさんの大豆を使用しているからだろう。吉野山の景観を楽しみながらの極上のひと時は、心にまで沁みわたるようだ。朝つくられたばかりの豆腐と厚アゲを、土産に買うことにした。

吉辰商店「こげ鹿鍋敷き」

吉辰商店「こげ鹿鍋敷き」

土産といえば、奈良県は木材大国として有名であり、特に吉野は約500年前に杉や桧の植林が開始された造林発祥の地だけに、魅力的な木工芸品が多い。
たとえば、鹿をモチーフにした吉野杉の鍋敷き。毎日使うことで表面に焦げ目がつき、背中部分に鹿の子模様が浮き出てくるという、育てるのが楽しいプロダクトだ。他にも、吉野杉の色合いを生かした桜の花びら型の箸置きや、ほのかに香る吉野桧の超極薄の折り紙など、木の良さを知り尽くしているからこその品々が並ぶ。
杉や桧の吉野材ブランドの工芸品は、天然木ならではの温かみで、日々の暮らしを彩ってくれる。

自然に寄り添い、伝統とともに生きる

雪の金峯山寺

雪の金峯山寺

蔵王堂を中心に塔頭寺院が建ち並ぶ、雪の金峯山寺。ほら貝、読経、打ち鳴らされる太鼓が響き、早朝の勤行が吉野におわす神仏の眠りをも覚ますようだ。山々の風景に溶け込む光景に、いにしえの人々の自然との融和を垣間見た。

ここは、森羅万象に神仏を見る修験道の地。信仰や歳時をはじめ物産、食材まで、神さぶる山と大河・吉野川の恵みのもとに日々を営んできた。そして今なお、大自然に寄り添い歴史は紡がれ、吉野は伝統とともに今日を生きている。

今回登場した作品

伝統食材 吉野葛

吉野本葛

吉野本葛

葛は秋の七草のひとつに数えられるマメ科のツル性植物で、古来より布や漢方薬、そして食材として利用されてきた。根の中に含まれているデンプンを、伝統製法・吉野晒しで精製・乾燥させて、高品質に仕上げたものを、総じて吉野葛と呼ぶ。吉野本葛はその名の通り、吉野産の葛粉100%。吉野葛は吉野本葛が50%以上で、残りはサツマイモやジャガイモのデンプンが配合されたものを指す。