大阪府堺市の「百舌鳥」、羽曳野市・藤井寺市の「古市」の2つからなる百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)は、4世紀後半から6世紀前半にかけて200基を超える古墳が築造された巨大古墳群で、1600年の時を経て今も数多くの古墳が残る地です。「百舌鳥・古市古墳群における45件49基の構成資産は傑出した古墳時代の埋葬の伝統と社会政治的構造を証明しており、一連の資産は顕著な普遍的価値を証明していると考える」と評価され2019年、令和元年に大阪初の世界遺産に登録されました。
古代日本列島の王たちの墓群。古墳にまつわる物語は神秘的で興味深く多くの人をこの地へ呼び寄せています。世界遺産フォトグラファー・三田崇博氏はその壮大な権力の象徴全容を目にし、夢中でシャッターを切ったそうです。
世界3大墳墓(ふんぼ)のひとつ、大仙古墳
大阪府の3市にまたがる「百舌鳥・古市古墳群」は、45件49基にものぼる古代日本の王の墳墓群。大都市の中心に悠然と横たわる厳かにして堂々たる姿は、日本独特の壮大なモニュメントといえるだろう。
中でも堺市・百舌鳥地区にある大仙古墳は、エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵と並ぶ、世界3大墳墓のひとつ。しかも全長486mと、体積や高さでは他の2墳墓に及ばないが、広大さは史上最大級を誇る。
長く仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)とされてきたが、その後調査が進み、現在は教科書にも大仙古墳としか載っていない。「倭(わ)の五王」の一人を葬った墓ともいわれ、その存在をよりミステリアスなものにしている。5世紀中頃に、15年以上という膨大な時間と労力を費やして築かれたそうだが、埋葬者の謎はもちろん、完成に至るストーリーを想像するだけで、古代史ファンでなくとも心ときめくものがあるだろう。
私自身、その圧倒的な全体像を、ぜひカメラに収めたいという強い思いにかられた。高い位置から撮影できる場所を探したが見つからず、セスナ機をチャーターしての空撮に踏み切ることにした。
八尾空港から古墳上空までは、5分ほどで到着。そのままでは広い範囲をカメラに収めるのが難しいため、機体を斜めに傾けて飛行してもらう。不安定な姿勢の中、撮影のタイミングがつかめず焦るが、旋回を繰り返し、満足できるショットを撮ることができた。冒頭の写真が日本最大の大仙古墳を撮影したその一枚だ。
そこにあったのは、地上からでは想像できない巨大な鍵穴。ビルや住宅に囲まれ、その部分だけがタイムスリップしているかのように見える。大都市の中に堂々と存在するその姿に、当時の権力の大きさを感じた。堺は、古代と現代が同居する興味深い町だ。
深くて新しい町・堺
堺市立町家歴史館
多くの古墳が集中していることから、当時この地に絶大な権力が存在していたことがよくわかる。
また中世には南蛮貿易で繁栄を極め、長く武家の支配を拒み、町人による自治・自由都市として発展した堺の歴史と文化は、日本史の中にきらめく1ページを占めている。
阪堺(はんかい)電車
明治以後は急速な近代化を進めて大都市となった現在だが、古い町並みや往時の栄えを感じさせる建物が多く残り、そぞろ歩きも趣深い。ことに旧紀州街道に沿って街中を走り抜ける、チンチン電車の愛称で知られる阪堺(はんかい)電車は、レトロ感満載。明治44年の開業以来約100年、市民の足として親しまれてきた。現役の路面電車として、町の風物詩となっている。沿線には観光スポットが点在し、旅人をも楽しませる。
綾ノ町停留場で下車、重要文化財に指定されている堺市立町家歴史館・山口家住宅に着く。
ここは約400年の歴史を持つ、国内で現存する数少ない江戸時代初期の町家のひとつ。畳の部屋が三室も並んで面している広大な土間や、当時の家具や道具などが展示されている居室など、商業の町として栄えた土地の町家暮らしを感じることができる。
堺旧港
貿易都市としての黄金時代の面影を残す堺旧港も、散歩コースにいい。東洋のベニスと呼ばれ、その港は海外との玄関口として隆盛を誇ったという。一時衰退するも、江戸時代には現在の旧港が完成。新たな華やぎを迎えた経緯があり、今なおヨットハーバーとして活躍している。
近年、親水プロムナードが整備され、市民の憩いと交流の場となっている。
旧堺燈台
また周辺にはゆかりの遺構も多く、その代表格が旧堺燈台だ。現存する、日本最古の木造洋式灯台のひとつ。明治10年に建造され、役目を終えた後も市のシンボルとして保存修理されている。
原付バイクのご当地ナンバープレートに描かれているというエピソードも、ほほえましい。
利休を生んだ、町人文化の町
さかい利晶(りしょう)の杜(もり)
さて、史跡を訪ねた後は、文化資産にも目を向けたい。
堺といえば、何といっても千利休のふるさととして知られている。当時の都市運営を担っていた有力商人たちは、一流の文化人でもあり、茶人として名声を博していた。ことに利休は、日本文化を象徴する存在である「茶道」の源流というべき「わび茶」を大成させた、茶聖(ちゃせい)と称せられる偉人。天下人の織田信長、豊臣秀吉に重用され、茶頭(さどう)(※茶の湯の宗匠の事)として大きな影響力を持つまでに至った。
さかい待庵(たいあん)
そんな利休と、同じく堺生まれで日本近代文学を切り拓いた歌人・与謝野晶子をテーマとした体験型ミュージアムが、「さかい利晶(りしょう)の杜(もり)」である。
「千利休茶の湯館」では、その生涯や茶の湯について学べ、展示品も豊富。オール堺ロケで話題になった、幻の利休の茶碗をめぐるコメディ映画『嘘八百』でも、撮影スポットとして登場している。必見は、利休作の国宝茶室「待庵(たいあん)」の創建当初の姿を復元した「さかい待庵」。“わび”という精神性を重視した、簡素でいて深みのある、心を鎮めるような空間だ。
和カフェ「茶寮 つぼ市製茶本舗」
わび茶が成熟する一方、堺では日常の中で茶を楽しむという喫茶文化も、町衆の間で栄えたという。その在り方は今日まで受け継がれ、2018年には堺茶の湯まちづくり条例も制定。
江戸時代から続く老舗茶舗 つぼ市製茶本舗では「利休の一期一会料理」を企画し、同社経営の香り高いお茶と和スイーツが人気のカフェでふるまっている。
「お茶料理と茶粥の一期一会セット」
それは飲むにとどまらず、食べる茶へと進化した、茶の湯の新しい楽しみ方。海外の文化や技術の取り入れ口として、“ものの始まりなんでも堺”と謳われた町は、現代でも新たな文化を発信し続けている。