いにしえの大ロマン、「神宿る島」への祈り「神の宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

Cedyna News for Premium Members 9月号より

2017年7月世界遺産に登録された『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』。古代からの国家的祭祀(さいし)の遺跡が残る沖ノ島(宗像大社沖津宮(おきつみや))を中心に、宗像大社「中津宮(なかつみや)」、「辺津宮(へつみや)」、5~6世紀にかけて築かれた、古代の豪族・宗像氏の墳墓といわれる新原(しんばる)・奴山古墳(ぬやまこふんぐん)など計8つの構成遺産です。
日本最古の歴史書「日本書紀」に女神が降臨したと記される沖ノ島は、古来より厳格な禁忌(きんき)のもとで信仰が守られ、神職以外の渡島が禁止されているため、世界遺産フォトグラファー・三田崇博氏も中津宮から玄界灘に浮かぶ周囲約4kmの孤島、「神宿る島」沖ノ島を望んだそうです。

三女神(さんじょしん)の聖地、
宗像大社

「神宿る島」沖ノ島

「神宿る島」沖ノ島

世界遺産には、昔から観光地として有名な場所が多いが、知る人ぞ知るような名所も登録されている。「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群も、その一つといってもいいだろう。

「神宿る島」と呼ばれる沖ノ島は、福岡県宗像市の沖合約60kmに存在する小さな島だ。古墳時代の4世紀から9世紀までの約500年もの間、東アジアの国々との活発な交流の拠点として、国家守護や航海の安全を願い、国をあげて盛大な祭祀が行われていた史実がある。そうして祈りを捧げ続けるうち、島には神が宿るとされ、沖ノ島そのものがご神体として崇められるようになったという。

“島にあるものは一木一草一石たりとも持ち出してはならない”“島で見聞きしたことを口外してはならない”などの掟が今なお厳重に守られ、一般人は全面立ち入り禁止のため、遺跡はほぼ手つかずの状態。約8万点にも及ぶ出土品は国宝に指定され、「海の正倉院」とも呼ばれている。

遠くペルシャのガラス碗や中国の銅鏡、朝鮮半島の金製品などが多数見つかり、その交易ルートの広がりはまさに世界規模。日本がシルクロードの東端だったかもしれないと思えば、ロマンが広がる。「神宿る島」沖ノ島は、玄界灘に浮かぶ周囲約4kmの孤島。今も神職が交代で、神域を守り続けている。

中津宮本殿

中津宮本殿

辺津宮の高宮斎場

辺津宮の高宮斎場

祭祀を担ったのは、宗像氏。沖ノ島に宿ると考えられた神から宗像三女神信仰を育んだ、古代の豪族だ。この宗像三女神とは、『古事記』や『日本書紀』の神話によると、天照大神(あまてらすおおみかみ)の娘といわれる三姉妹。海域の守り神として降臨し、それぞれ沖ノ島の沖津宮(おきつみや)、沖ノ島と九州本土との中間に位置する大島の中津宮(なかつみや)、そして宗像氏の支配する本土の辺津宮(へつみや)にまつられ、三つの宮で宗像大社を構成している。

冒頭の写真は、三宮の総社である辺津宮本殿。戦乱などでたびたび焼失したが、天正6(1578)年に現在の本殿が再建された。辺津宮の一番奥に位置する高宮祭場では現在も月次祭が行われ、雅楽の演奏や舞などが奉納される。

沖津宮遙拝所

沖津宮遙拝所

中津宮は、沖ノ島への中継地点となる大島にあり、フェリーで渡れる。本殿は、県の有形文化財だ。御嶽神社をはじめ、境外神社が三社ある。また、渡島できない沖ノ島を遥か遠くから拝むための沖津宮遙拝所もある。現在の建物は、昭和8(1933)年に建てられたものだ。

7世紀後半頃には、すでに女神の宮すべてで沖ノ島と同様の祭祀が行われ、伝統は現在も継承されていると聞く。そこに壮大な祈りの連鎖を感じとるのは、私だけではないだろう。

宗像は、昔も今も海と共に

新原(しんばる)・奴山古墳群(ぬやまこふんぐん)

新原(しんばる)・奴山古墳群(ぬやまこふんぐん)

宗像市と隣り合う福津市には、宗像氏の眠る新原(しんばる)・奴山古墳群(ぬやまこふんぐん)が残されている。東アジア諸国との交流に活躍し、ヤマトの王権とも強いつながりを持ち、国家祭祀の担い手として信仰の伝統を支えた一族だ。
台地上に築かれた墳墓(ふんぼ)群は、前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が数えられ、当時の絶大な力を物語っている。玄界灘を一望する、海の民らしい終焉(しゅうえん)の地だと思う。

鉄の鎧や、鉄を作る道具、飾りがつけられた土器などの貴重な資料が出土しており、学術的にも重要な古墳だ。

福間海岸のビーチ

福間海岸のビーチ

現代では、福津市の福間海岸は、景勝地として知られている。約2kmに渡って続く白砂の浜と青い松林、美しい夕日でも有名なスポット。ウミガメが産卵しにやってくるほど水も美しい。西日本有数のウィンドサーフィンの名所でもあり、「九州の湘南」との呼び声も高い。
海岸通りにはマリンスポーツのショップやしゃれたカフェが軒を並べ、海水浴客で賑わう。

「BOCCOバーガー」

「BOCCOバーガー」

中でも「BOCCO VILLA」は、1日1組限定だが、泊まれるカフェレストラン。日常とかけ離れた優雅な時間を過ごせる、大人のリゾートをコンセプトにしている。
アジアンテイストのインテリアが南国気分を盛り上げ、イタリアンの名店で研鑽を積んだ女性シェフが腕を振るうのは、地産地消のスペシャルメニュー。パフェやパンケーキなど、デザートも豊富。人気メニューの牛肉100%のパテを使った「BOCCOバーガー」など、潮風に吹かれながらのランチは、ひときわおいしい。
テラス席から眺める海は、世界遺産の舞台が、今日でも魅力的なことを伝えるように輝いていた。

島に、人々の心に宿り続ける
宗方三女神

辺津宮本殿の周辺に24社建つ摂末社

辺津宮本殿の周辺に24社建つ摂末社(せつまつしゃ)

島国である日本にとって、外界へとつながるのは海の道。そして、海の道は途切れることがない。『日本書紀』に「道主貴(みちぬしのむち)」と称され、あらゆる“道”の最高神として崇められてきた宗像三女神。今では海に限らず、陸の「交通安全の神」としても信仰を集めている。日本で初めて自動車専用のお守りを作ったのも、宗像大社だそうだ。

古代から現代へ、そして未来へと、女神のつかさどる道は続いていく。

今回登場した作品

神話「日本書紀」

日本最古の、国家による正式な歴史書。天武天皇が編纂(へんさん)を命じ、今から1300年前の養老4(720)年に完成した。30巻と系図1巻からなり、イザナギ・イザナミの二神による天地の始まりから、持統天皇までを扱っている。
先に作られた『古事記』と比べ、用いた資料もはるかに多種多彩で、記述の信憑性を高めている。日本のみならず、東アジアの古代史や文学史における重要史料である。