神と仏が共に御座(おわ)す、紀伊の聖地 紀伊山地の霊場と参詣道

Cedyna News for Premium Members 8月号より

「次々にはじける火の花、ドンッと響く轟音と人々の歓声、風に混ざる火薬の匂い。五感を揺るがす光の饗宴が、夏の夜空を鮮やかに彩る。目をみはる迫力は、さすが約1万発の打ち上げ数を誇る、紀州最大の大花火大会だ。」画像を見るたびに、撮影時の臨場感、興奮が幾度も蘇ってくるという世界遺産フォトグラファー・三田崇博氏。
花火大会の舞台である三重と、隣接する奈良、そして和歌山の三県にまたがる紀伊山地の神聖な自然環境、日本古来の自然崇拝に基づく神道と、渡来した仏教が融合した神仏習合の宗教観。その多様な信仰によって形成された建造物や遺跡など独自の景観が評価され、2004年に世界文化遺産に登録された『紀伊山地の霊場と参詣道』。三田氏の熊野詣では、圧巻の熊野大花火大会からはじまりました。

一度は行きたい、熊野詣で

勇壮にして豪快な、熊野の夏の風物詩、熊野大花火大会。
海上での自爆花火や名勝・鬼ヶ城(おにがじょう)の景観を利用した仕掛け花火が、熊野灘の大海原を舞台に繰り広げられる。冒頭の写真、獅子岩(ししいわ)を望むスポットは特にカメラマンに人気があり、花火越しにシルエットで浮かび上がる獅子の横顔は、神々しささえ感じるほどだ。

そもそもはお盆の初精霊供養(はつしょうりょうくよう)とされ、300余年の歴史を持つ。現在もその供養の思いは受け継がれ、プログラムにも灯籠焼きの打ち上げ花火などが組み込まれている。霊場の地の、盛大な送り火なのだ。

紀伊山地の信仰と祈り

熊野古道 中辺路(なかへら) 大門坂

熊野古道 中辺路(なかへち) 大門坂

紀伊山地は、古来から神々の御座す場所として敬われてきた。時代と共に、神道や仏教、修験道などの多様な信仰が育まれ、「熊野三山」「高野山」「吉野・大峯」の三大霊場が、宗教と文化の発展に大きく寄与。また多くの人々が訪れる参拝道が各地に生まれ、自然と人間の営みによって形成された文化的景観として、日本の世界遺産で初めて“道”が登録された。
その参拝道のひとつ、熊野古道をゆく。

順路はいくつかあるが、中でも中辺路(なかへち)は平安貴族の公式ルート。時に険しく、時にゆるやかに、森の中を進む。いつしか厳かな気配さえ漂い、ここが信仰のための巡礼路なのだと実感させてくれる。
苔むした石畳が美しい大門坂を登り、熊野那智大社へ。

那智の滝

那智の滝

那智の滝を神とする自然崇拝から起こり、別宮・飛瀧(ひろう)神社の御神体として祀っている。垂直に切り立った岩肌を落下するその姿は、華厳の滝、袋田の滝と並び日本三名瀑に数えられる見事さで、凛とした空気に思わず身が引きしまる。

那智の滝と三重の塔

那智の滝と三重の塔

また隣接した那智山青岸渡寺(せいがんとじ)の境内からは、那智の滝と、寺の三重の塔を一望できる。神仏習合によって、神々と仏が共に御座す浄土とされる、熊野信仰を象徴する光景だ。明治期の神仏分離以前は、塔を持つ青岸渡寺と熊野那智大社は一体であったという。

天空に広がる宗教都市、高野山

ろうそく祭り

ろうそく祭り

真言密教の聖地、高野山。その夏の風物詩が、全国的に有名な萬燈供養会(まんどうくようえ)、通称ろうそく祭りである。一の橋から弘法大師・空海の御廟(ごびょう)がある、聖域・奥之院に続く約2kmの参道両側に、約10万本のろうそくが灯され光の川が生まれる。荘厳な雰囲気と、暗闇に揺れるほのかな灯火。この幻想的な世界にひかれて、大勢の参拝者が訪れる。

深い森に囲まれた高野山だからこその幻想的な光景は、ご先祖や無縁仏も含めてお山に眠るすべての御霊を供養する行事であるからだろう、ますます幽玄の世界を想わせる。奥之院燈籠堂(とうろうどう)で僧侶による供養会が行われ、参拝者も祈りを捧げる中、私もまた手を合わせた。

根本大塔(こんぽんだいとう)

根本大塔(こんぽんだいとう)

夜の高野山は、昼間とはまた違う趣がある。空海が開山した時に、修行の場として最初に造営した壇上伽藍(だんじょうがらん)は、奥之院と並ぶ二大聖地で、日没から夜明けまでライトアップが行われている。
日本で最初の多宝塔・根本大塔(こんぽんだいとう)も、この伽藍の見所のひとつ。漆黒の闇に浮かび上がる、朱色とのコントラストが印象的だ。堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成され、空海の理想とする世界が広がっている。静寂の中に佇む姿には、ライトアップの彩りだけではないオーラが感じられる。平安時代に建立後、何度か焼失したが、1937年に現在の姿に再建された。

高野山の精進料理

高野山の精進料理

山内には宿坊寺院が多数あり、特に料理には、どこも力を入れているようだ。もちろん殺生を避けた、季節の野菜を中心とした精進料理。それも高野山の精進料理のルーツは、平安時代から続く皇族や大名の参詣をもてなす、振舞料理だといわれる。開山以来、五味(甘・酸・鹹(塩味)・辛・苦)五色(白・黄・赤・青・黒)五法(生・煮る・焼く・揚げる・蒸す)を満たすたくさんの鉢が並び、高野豆腐や金山寺わさびなど高野山ならではの味わいが、目も舌も楽しませてくれる。

高野山は117の寺院を擁し、天空に広がるように存在する宗教都市として知られているが、信仰心によって支えられてきた食文化都市でもある。

絶景ポイントで心癒されて

忘帰堂(ぼうきどう)

忘帰洞(ぼうきどう)

温泉は、旅の楽しみのひとつだ。南紀勝浦は、風光明媚なリゾート地。特にホテル浦島の大洞窟風呂は有名で、紀州の殿様が「帰るのを忘れさせるほど心地よい」と褒めたことから、忘帰洞(ぼうきどう)と名付けられた。

もとは海岸の洞窟内に温泉が湧き、熊野詣での旅人が疲れを癒したという。大洞窟がそのまま天然温泉になっているので、すぐ目の前に海が広がり、押し寄せる波音がこだまする。
湯にひたりながら眺める日の出は、まさに絶景。日常を忘れ別天地に遊ぶ心地は、確かに帰るのを忘れさせる。

夜の橋杭岩(はしくいいわ)

夜の橋杭岩(はしくいいわ)

とはいえ、見逃せないビューポイントは他にもある。吉野熊野国立公園地域にある、国の名勝天然記念物・橋杭岩(はしくいいわ)はぜひカメラに収めたい。
海岸から一列に、およそ850mもの長きにわたって、岩柱がそそり立つ大小40余りの岩柱。波の浸食により岩の硬い部分だけが残り、橋の杭のように見えるこの奇岩には、空海と天邪鬼(あまのじゃく)が橋を架ける賭けをして、一夜にして立てたという伝説がある。

到着した時は夜で、空には満天の星空と天の川が。寝る間も惜しんで撮影に没頭し、気がつくと夜明けの気配。日の出の時間帯は特に美しく、日が昇りきるまでシャッターを押し続けた。

橋杭岩の日の出

橋杭岩の日の出

文化の礎となった紀伊山地

潮騒を耳にしながら浜辺に座り、ろうそく祭りの供養会での読経の声を思い出す。そういえば、宗教音楽・聲明(しょうみょう)を高野山にもたらしたのも空海だ。聲明とはお経に節がついたもので、僧侶が儀式の時に唱える、いわば男性コーラス。たまのイベントでしか公開されないが、以前に聴いた時は、本堂の中に地から湧きあがるような低音が響きわたり、心を揺さぶられたものだ。

特に高野山の真言聲明は、男性的でダイナミック。女性的で優雅とされる比叡山の天台聲明など、各流派にそれぞれ個性があるらしい。邦楽や古典芸能のルーツといわれ、近年ではグレゴリオ聖歌とコンサートを行うなど、本来の形から進化して希望と安らぎを与える歌となっている。

熊野古道

熊野古道

振り返れば、熊野の花火も、高野山の祭りや料理も、聲明と同じく宗教から広がりを得て、今や文化として人々に親しまれている。古来から神仏の宿る紀伊山地は、文化の礎の地であり、参拝道は人と文化を結ぶ縁(えにし)といえるのかもしれない。

今回登場した作品

宗教音楽 高野山の聲明(しょうみょう)

聲明とは、僧侶が唱える声楽のことで、仏教伝来と共に日本に伝えられた。1200年の伝統を誇る、ご先祖の供養や国家の安穏、仏への報恩などを表す祈りの歌だ。高野山の真言聲明は、空海が伝えたものが基礎となり、現在に至っている。キリスト教に賛美歌があり聖歌隊がいるように、仏教にも仏を賛美してお経に節をつけて歌う僧侶たちがいるのである。