日本で唯一、潮の満ち引きのある場所に建つ寝殿造りの社殿群と大鳥居から成る嚴島神社。青々とした海、背景に広がる緑の弥山原始林、燃ゆるような朱赤の厳島神社、その華やかで神秘的な建築美は訪れる人々を魅了しています。四季を通じて国内外から多くの人々が訪れる観光名所です。
世界遺産フォトグラファー・三田崇博氏も何度も訪れたという厳島神社。特に、桜が咲き誇る春先、約1,900本もの桜に囲まれた世界文化遺産の景色は圧巻です。冒頭の写真は、多宝塔と大鳥居を見下ろせる高台から撮影した一枚。宮島はソメイヨシノ、しだれ桜、大島桜に山桜など多品種の桜が咲き誇り、島全体が桜の名所だといいます。大鳥居は令和元年から、約70年振りの大規模改修工事が行われているそう、改修工事後は一層雅やかで神々しい姿を見ることができるでしょう。
『平家物語』描く
清盛ゆかりの地
嚴島神社というより、「安芸(あき)の宮島」といった方が耳慣れているかもしれない。潮が満ちると海に浮かぶように見える建造物群と、背後の自然とが一体となった景観美は、日本三景の一つとして人々に崇められてきた。その普遍的価値を認められて、1996年に世界文化遺産として登録。詣でる人の足は絶えることなく、昔を今に伝え続けている。
この地を訪れるのは、もう何度目になるだろうか。JR宮島口駅からフェリーで10分、すぐにも島が近づいてくる。参拝の前に、ざっと縁起を紹介したい。
嚴島神社は593年創建、その後、安芸守(あきのかみ)の任に就いた平清盛に深く信仰され、1168年に現在のような寝殿造りの社殿が造営されたという。清盛といえば、武士として初めて太政大臣となり、武家政権を打ち立てた、平安時代の象徴的人物。栄華を極めた様は、古典文学『平家物語』をはじめ、数多(あまた)の小説やドラマなどで語り継がれている。
その清盛の手になる嚴島神社の最大の特徴は、海にせり出すように築かれていることだ。「神を斎き祀る島」という語源のように、古くから島そのものが神として信仰されていたので、土地を傷つけるのを憚(はばか)ったといわれている。廻廊(かいろう)で結ばれた社殿群は、国宝や重要文化財ばかり。歴史的にも文化的にも価値が高いのはもちろん、その神々しさでも群を抜いている。澄み渡る清浄の気に、心が鎮められてゆくようだ。
まずは入り口をくぐり、客(まろうど)神社に拝礼。朱塗りが鮮やかな東廻廊を進み、御本社でも手を合わせる。満潮時なら、廻廊の外はもう青い海。沖合約200メートルの所にそびえ立つ大鳥居は、宮島のシンボルといってもいいだろう。高さ約16メートル、重さ約60トン。実は6本の柱の根元は、海底に埋められているわけではない。重しをはじめとする、さまざまな工夫で、いわば置いてあるような状態らしい。約800年前にこれだけの仕掛けをつくった、先人たちの知恵と匠の技には息をのむ思いだ。
清盛の時代は船で大鳥居をくぐり、嚴島神社を参拝することが順路とされていたと聞くが、干潮時には歩いても渡れる。間近に体感する迫力は、ただ圧巻の一言。ここからが境内なのだと、訪れるものに知らしめている。
西廻廊からは、高舞台が見晴らせる。毎年4月には、ここで清盛によって京の都から伝えられた「桃花祭舞楽」が行われ、多くの観客の目と耳を楽しませる。華やかな装束も見事。3月に行われる、清盛と平家一門の“嚴島神社参詣行列”を再現した「宮島清盛まつり」も平安絵巻を見るようで、春の宮島は時が巻き戻ったかのようだ。
東西の廻廊は、幅約4メートル、長さ約275メートルあるという。東廻廊は、現在改修工事が行われており、残念だが令和3年の「桃花祭舞楽」は一般公開未定、「宮島清盛まつり」は中止が決定しているそうだ。