世界に誇るレンガ造りの製糸場
当時の世界基準の2倍もの器械を導入し、大規模に開業した富岡製糸場だが、器械を使う人がいなければ始まらない。そこで活躍したのが女性たちである。
富岡製糸場設立には、全国から集めた工女の器械製糸技術の習得、さらにはその最新技術を各地に伝える人材を育てるという目的もあった。指導に当たったのは技術導入国であるフランスの技術者だ。
フランス人技術者の宿舎
しかし西洋人に対する恐怖や根拠のない噂があった当時、なかなか人が集まらなかったことは作家・植松三十里(みどり)による小説『繭と絆 富岡製糸場ものがたり』にも描かれている。製糸場の初代場長である尾高惇忠(じゅんちゅう)は、自身の娘を工女第1号にし、各地に工女を募って回った。惇忠は、製糸場設立にも関わり2021年の大河ドラマの主人公である実業家・渋沢栄一の従兄弟にあたる。
地方から集められた工女たちが製糸場を初めて見た時の驚きは相当なものだっただろうと、現地を訪れて感じた。まずはその外観だ。当時の日本に全長100メートルを超えるレンガ造りの建物などほとんどなく、その姿に圧倒されたに違いない。とはいえ、レンガの壁に屋根は瓦葺き、柱や梁は木造の和洋折衷の姿は、どこかほっとさせてくれる。フランス人の設計のもと、主な資材は富岡周辺で調達、レンガも指導を受けて近隣の瓦職人が焼いたという。レンガは長手と小口を交互に積むフランス(フランドル)積みになっており、フランスからの技術ということがわかる。
繰糸所内部
そして工女たちが作業をした繰糸所(そうしじょ)内部に入ると、中央に柱がない大空間が広がる。日本にはまだなかった西洋式のトラス構造を導入し実現したものだ。見上げると三角形の骨組みが屋根を支えている。この構造で屋根の重みを分散し、柱の間隔を大きくとることができる。天井が高く、壁には大きなガラス窓が並ぶ。大きなガラス窓から入る光が室内を明るく照らす。当時は電灯などもちろんなく、蜘蛛の糸のように細い生糸を繰(く)るためのあかり取りだ。まだガラスが珍しく、縁側で糸を繰っていた少女たちにとって、その広さ、明るさも衝撃だっただろう。300釜もの器械がシンメトリーに並ぶ明るい所内には、凛とした美しさが感じられる。
繰糸所は1987年まで操業し、現在は1966~1980年頃にかけて設置された器械が操業時のまま並ぶ。
国宝・西置繭所(にしおきまゆじょ)
置繭所のレンガ壁
2020年10月に、新たにグランドオープンした国宝・西置繭所。2階を繭の貯蔵庫として使用していたそうだ。レンガ壁は、焼成温度が低かったことから、オレンジ色をしているという。
豊かな郷土色にふれる
富岡シルクのストール
富岡製糸場内、東置繭所1階には、展示室やシルクギャラリーなどがあり、シルクギャラリーでは富岡で生産された繭を厳選した品質検査のもとで繰糸し、製品化した「富岡シルク」ブランドの製品が販売されている。
おかって市場
甘楽町(かんらまち)歴史民俗資料館
製糸場周辺には、養蚕業に関連する古い建物を利用した施設も多い。上信電鉄上州富岡駅近くの「おかって市場」は繭の保管庫をリノベーションをし、地元製品を多数取り揃える。富岡市の隣、甘楽町(かんらまち)にある歴史民俗資料館も1926年に建てられた繭倉庫を利用したもの。この地域で使用された養蚕・製糸・織物に関する道具や資料を見ることができ、古くから女性たちが絹産業を担い、家計を支えたことがうかがえる。
群馬県といえば「かかあ天下」と「からっ風」。さぞ女性が強くて怖いのかと思っていたが、そんな女性たちの凛々しいさまを言ったのだろう。そして地方からこの地に集まった工女たちは、家だけでなく近代日本をも支えたのだ。
おっきりこみ
製糸場を後にして、近くで上州名物「おっきりこみ」を食べた。「おっきりこみ」は小麦粉で作った幅広の生麺を、野菜やきのこ、根菜などと一緒に煮込んだ郷土料理。古くから家庭で作られてきた群馬の「おふくろの味」だ。からっ風に吹かれて冷えきった体に染みわたる、ほっとする味だ。
工女たちも味わったのだろうか。もしかしたら賑やかにおしゃべりしながら食べたのかもしれない。その温もりの中に、工女たちが切磋琢磨した青春の日々が染み込んでいるような感じがした。