白川郷・五箇山の合掌造り集落

Cedyna News for Premium Members 12月号より

世界遺産フォトグラファー・三田崇博氏と旅する「日本の世界遺産、その舞台を訪ねて」。今号は険しい山間地にある日本有数の豪雪地帯で、外界との往来が少なく独自の生活文化を形成してきた白川郷と五箇山にある合掌造り集落です。

雪深い環境や風土に合わせて生み出された合掌造り家屋は、釘を1本も使わず材木を組み合わせて造られています。茅葺屋根は雪が滑り落ちるように急勾配になっており、屋根裏には養蚕の作業場が設けられ、一軒に20~30人もの大家族で生活していたそうです。集落全体が真っ白な雪で覆われた圧巻の冬景色とともに、人々が大切に守ってきた伝統、丁寧な暮らしにふれる旅路をご紹介します。

雪深き地に生まれた合掌造り

岐阜・富山両県を流れる庄川。この上・中流域に白川郷・五箇山の合掌造り集落はある。岐阜県の白川郷(荻町集落)と富山県の五箇山(相倉・菅沼集落)は、1995年に世界遺産に登録された。
日本の原風景ともいわれ、季節を問わず観光客が多く訪れる。富山県の高岡駅からは、集落を巡る世界遺産バスも運行されている。今回はそんなノスタルジックな風景を写真に収めるべく、合掌造り集落へと向かった。

ライトアップされた五箇山の合掌造り

ライトアップされた五箇山の合掌造り

この地域の合掌造りの家屋は江戸中期から昭和初期にかけて建てられたもので、古いものは300年以上経過しているといわれている。一見するとおとぎの国の建物のようだが、間近で見るとその巨大さに圧倒される。茅葺(かやぶき)の切妻(きりづま)屋根は急勾配が特徴で、五箇山の場合、菅沼集落では傾斜が60度もの屋根があるという。
1,000メートル級の山に囲まれ、積雪量が多いので、雪の重みに耐えられるよう、また、雪下ろしをしなくても、雪が自然に落ちるようにと考案された形なのだそうだ。

訪れた季節は冬。一面真っ白な世界の中、しんしんと降り積もる雪の重みにまったく動じないその姿を見ると、先人の知恵の深さに感心させられるばかりだ。
冒頭の写真は五箇山の合掌造り集落の雪景色。相倉20棟、菅沼9棟の合掌造り家屋が残る。

暮らしの中に息づく伝統

五箇山の和紙漉(す)き

五箇山の和紙漉(す)き

合掌造りの里といえば白川郷が有名だが、五箇山は、より素朴な山村の風景に出会えるのが魅力。源平合戦に敗れた平家落人の隠れ里として、古くから都の文化が伝えられたともいわれている。

古来、稲作にはあまり向いていないとされたこの地域。かわりに盛んだった産業のひとつが和紙作りだ。五箇山和紙は江戸時代、加賀藩の指定生産物として手厚い保護を受けた。現在は八尾(やつお)和紙(富山市八尾町)、蛭谷(びるだん)和紙(朝日町蛭谷)とともに越中和紙(えっちゅうわし)として国の伝統工芸品に指定されている。

この地の冬の生業(なりわい)として重要だった和紙漉(す)きは、自家栽培の五箇山楮(こうぞ)を原料に、トロロアオイの根から採れる粘液を大量に入れて流し漉きを行う。収穫した楮を雪の上に広げ、雪さらしといわれる漂白作業をするのが特徴だ。寒風の中進められるこの作業で、繊維を傷めることなく漂白でき、紙の強度が上がるという。そして冬の冷たい水で漉くことで、さらに紙が締まる。
ペーパーレス化が進む現代でもその価値は評価され、重要文化財の古文書の修復などに採用されるものもあると聞く。

五箇山和紙のブックカバー

五箇山和紙のブックカバー

「道の駅 たいら 五箇山 和紙の里」では五箇山和紙の強度を活かしたブックカバーや、カードケース、ボックスなどが製造・販売されている。さらに和紙作りの工程見学や、紙漉き体験ができ、五箇山の歴史や暮らしを知ることもできる。伝統を守り続ける土地の人の丁寧な生き方を感じることができるだろう。

集落を支えた養蚕と煙硝(えんしょう)作り

約350年の歴史がある五箇山村上家

約350年の歴史がある五箇山村上家

冬の和紙漉きに対し、夏の生業だったのが養蚕と煙硝(加賀藩では「塩硝」と表記)作りだ。江戸時代、加賀藩領だった五箇山地域と、幕府直轄の天領だった白川郷地域。支配は違うが、絹糸や火薬の原料である煙硝の国内生産の需要が高まり、この地域の重要な産業となっていった。

白川郷田島家養蚕展示館

白川郷田島家養蚕展示館

蚕を飼っていたのは「天(あま)」と呼ばれる合掌造りの屋根裏部分の空間。床をすのこ状にすることで、1階にある囲炉裏(いろり)から出る熱や煙が屋根裏にも行き渡る。その熱を、蚕を育てるのに利用した。なんとも合理的だ。養蚕は現在、五箇山では行っていないが、白川郷では復活を試み、田島家養蚕展示館ではその様子を見学できるのだが、例年11月上旬から4月28日は冬季休館となっている。

生活は囲炉裏を中心に営まれた

生活は囲炉裏を中心に営まれた

そして囲炉裏のそばの床下で作られていたのが煙硝だ。蚕の糞と、ヨモギなどの身近な植物を土や水、灰汁とともに煮詰め、寝かせて作るのだが、気温の安定した地下が適していた。加賀藩の庇護(ひご)のもとで作られていた五箇山の煙硝は「加賀塩硝」といわれ、質、量ともに日本一だったそうだ。国指定の重要文化財である村上家や岩瀬家などでは、合掌造りの見学だけでなく、「塩硝」についての資料展示もある。

合掌造りの家屋は、厳しい自然の中で暮らすための工夫から生まれ、そしてその形がこうした産業に活かされている。
巨大な茅葺屋根は、五箇山では20~25年、白川郷では15~20年の周期で葺(ふ)き替えられるが、かつては50年に一度行われていた。この作業は家族だけでできるものでもない。そのため、集落には「結(ゆい)」といわれる相互扶助の関係があった。葺き替えだけでなくさまざまな作業で協力し合ってきたそうだ。

厳しい環境の中で助け合い、生きる。そんな精神が合掌造りの家屋一つひとつに刻まれているかのようだ。素晴らしい景観の背後にあるものに、なんとも胸が熱くなる。

食文化にも見られる独自性

五箇山豆腐(堅豆腐)

五箇山豆腐(堅豆腐)

さらに、伝統製法にこだわるものに五箇山豆腐(堅豆腐)がある。水分が少なくぎゅっとしまり、硬いのが特徴だ。縄で縛り持ち上げても崩れないといわれ、保存性が高く、大豆の旨みが凝縮された素朴ながら深い味わい。地元では刺身のようにわさび醤油でいただくのが定番だという。

「お食事処 坂出」五箇山豆腐定食

「お食事処 坂出」五箇山豆腐定食

和紙の里と相倉合掌造り集落の中間あたりにある「お食事処 坂出」は、豆腐の刺身や揚げだし豆腐など、五箇山豆腐尽くしの定食が食べられる地元で人気の店。定食にもついている寄せ鍋風湯豆腐は、冷え切った体に染み渡るようだ。春先になれば近くで採れた山菜や、さらには熊肉も提供し、この地ならではの料理が楽しめる。

日本人の心に刻まれた懐かしき風景
人々が紡ぐ丁寧な暮らし

ライトアップされた岐阜県・白川郷合掌造り集落

ライトアップされた岐阜県・白川郷合掌造り集落

岐阜県・白川郷の合掌造り集落には59棟もの家屋が残る。雪質の違いから、五箇山に比べ屋根の勾配が緩い。ライトアップされた集落は城山天守閣という展望台から撮影した一枚だ。
合掌造りの家屋での暮らしに思いを馳せ、雪深い谷間の集落の人々が育んできた伝統や暮らしの知恵を建物のいたるところに発見する。土地の自然、景観を堪能するだけでなく、それがこの地を訪れる醍醐味なのかもしれない。そんなことを考えながら、眼下に見える幻想的な夜の合掌造り集落の風景を写真に収めた。

今回登場した作品

今回登場した作品

工芸 五箇山和紙

自家栽培の五箇山楮で作る和紙。加賀藩によって藩の指定産物になり、以来その伝統を守り続けている。原料の楮を雪の上にさらして日光にあてることで葉緑素を抜く、雪さらしという方法で白さを出す。
漂白剤を使わないことで楮の繊維を傷めず、強度が高い。耐久性も高く変色や紙質の低下もなく、100年以上前に書かれた墨文字の鮮やかさと紙の白さを今も保ち続けているという。