奈良県橿原市・明日香村

Cedyna News for Premium Members 10月号より

万葉歌人に愛され、万葉集に最も詠まれた地・奈良。1,300年の歴史を誇る古都・奈良は、旅の主人公、写真家・三田崇博氏が生まれ育ち、今も拠点としている地です。この感慨深い奈良の、数多い万葉集の舞台から今回ご紹介するのは日本初の都城・藤原京の中心部の跡地、藤原宮跡。花の名所としても知られるこの地を訪れたのは、コスモスの花が見渡す限り一面に咲き誇る秋冷の候でした。

藤原宮跡に咲く花を詠んだ歌をご紹介します。

藤原(ふぢはら)の
古(ふ)りにし里の 秋萩は
咲きて散りにき
君待ちかねて

(巻十・二二八九 作者未詳)

旧都・藤原の古さびた里の秋萩の花は、
もう咲ききって散ってしまいました
貴方の訪れを待ちわびて

300万本のコスモスが揺れる

三笠山から始まり万葉ゆかりの地を巡って早一年。「万葉を旅する」シリーズ最終回は、私のふるさとでもあり万葉集に最も多く詠まれた地・奈良に戻り、藤原京の宮殿があった藤原宮跡を紹介したい。

飛鳥時代、藤原京は現在の橿原(かしはら)市と明日香村にかかる地域にあった。橿原市は初代天皇といわれる神武天皇を祭る橿原神宮のある、歴史的に重要な場所だ。
藤原京は平城京や平安京にさきがけ、唐の長安にならい造営された。都の中央南北に朱雀大路(すざくおおじ)を通し、東西の大路と南北の大路で碁盤の目状に造る市街区画である条坊制を採用。日本初となる本格的な都として栄えた。694年からわずか16年間ではあったが、その規模は平城京や平安京をしのぐ日本古代史の中で最大の都であった。

現在、往時の面影を残すものはほぼなく、橿原市を代表する景観である大和三山(香久山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま))を望むばかりだ。万葉集にも頻繁に登場するこの三山に囲まれるようにして、都が造られたことがわかる。現在、藤原宮跡からの大和三山の眺めは重要眺望景観に指定されている。

藤原宮跡は歴史好きはもちろん、花の好きな方にもよく知られている。醍醐池と大極殿のあった場所を中心に、現在は花々が植栽された花園となっているのだ。コスモスの見頃は10月上旬から下旬で、エリアによってピンクだけでなく黄色や白の花も楽しめる。

香久山(かぐやま)を背にしたコスモス畑

香久山(かぐやま)を背にしたコスモス畑

春には一面黄色に染まる菜の花畑、夏にはキバナコスモスや11種類のハナハスが楽しめる。そして秋になると、醍醐池の南側には300万本のコスモスが咲き誇る。冒頭の歌では、秋萩が散ってしまった、と詠うが、残念ながら萩は見ることができない。しかし歌とは対照的に、私が訪れた時、コスモスがまさに見頃を迎えていた。大和三山に囲まれ、ピンクの濃淡に覆われる花畑は見事のひと言。吹く風にコスモスがゆらゆらとたおやかに揺れ、ほのかな香りを漂わせる。
持統、文武、元明天皇の三代が居住した藤原京。文武天皇を除く2人は女性天皇であった。可憐で清楚な花々を眺めているとなおさらに、宮廷の華やかな様子が目に浮かぶようである。

ところが、都が平城京に移ると一変、藤原京は荒れ果て、やがて田畑に変わっていったという。遷都後、何らかの事情でこの地に残った女性が詠んだといわれるのが、冒頭の万葉歌だ。都に移り住んでしまった男性への思いを秋の代表花、萩に託したのではないだろうか。萩は万葉集の中で最も多く登場する花。当時はとても身近な花であったのかもしれない。閑散とした都に咲いて散ってしまった萩の花に託して、胸のうちを詠んださりげないフレーズに、その切なさがひしひしと伝わってくる。

秋風を受けて往古の奈良を訪ねる

奈良駅と大和高田市の高田駅を結ぶJR桜井線

奈良駅と大和高田市の高田駅を結ぶJR桜井線

万葉集に詠まれた地が数多くあることから、藤原宮跡の近くを走るJR桜井線は「万葉まほろば線」の愛称で親しまれている。
橿原市とその南に位置する明日香村を含む周辺地域には史跡が数多く点在し、一日ではとてもすべてを見ることができないほど。レンタサイクルを利用して、秋風に吹かれながらのんびり走るのもいいだろう。当時にタイムスリップしたような錯覚に陥るのではないだろうか。

本薬師寺跡(もとやくしじあと)

本薬師寺跡(もとやくしじあと)

藤原宮跡の近くにあるのが、本薬師寺跡(もとやくしじあと)である。ここは世界遺産・薬師寺の前身にあたる寺が存在していた場所で、この寺は皇后であった後の持統天皇の病気平癒のために、天武天皇が建立を計画した。しかし完成前に天武天皇が崩御したため持統天皇自らがその遺志を継ぎ完成させた。現在跡地には金堂の礎石や東西両塔の上壇、塔の心礎などが残されている。

本薬師寺跡(もとやくしじあと)周辺のホテイアオイ

本薬師寺跡(もとやくしじあと)周辺のホテイアオイ

本薬師寺跡(もとやくしじあと)周辺のホテイアオイ

この一帯は、例年8月下旬から10月初旬にかけてホテイアオイの花が咲くことでも有名だ。その数なんと40万株。水草の一種で、水面に浮かんで群生する淡い紫色の花を楽しむことができるという。

橿原神宮(かしはらじんぐう)

橿原神宮(かしはらじんぐう)

本薬師寺跡(もとやくしじあと)の西には、前述の橿原神宮(かしはらじんぐう)がある。橿原神宮は記紀により日本建国の地と記された場所に建っている。玉砂利の参道の先に厳かな雰囲気の社殿が、畝傍山(うねびやま)の深い緑を背景にして佇み、思わず背筋が伸びる。広大な神域には四季折々の花が咲き、訪れる人を楽しませている。

深い歴史を物語る古墳を歩く

蘇我馬子の墓といわれる石舞台(いしぶたい)古墳

蘇我馬子の墓といわれる石舞台(いしぶたい)古墳

天武・持統天皇を合葬した野口王墓(のぐちおうぼ)古墳

天武・持統天皇を合葬した野口王墓(のぐちおうぼ)古墳

さらに少し足を延ばした明日香エリアには古墳が点在する。日本最大級の横穴式石室である石舞台(いしぶたい)古墳をはじめ、高松塚古墳やキトラ古墳など、誰しも教科書で見たことがあるのではないだろうか。また、天武天皇と持統天皇の陵とされる野口王墓(のぐちおうぼ)古墳もある。鬱蒼(うっそう)と茂る木々に覆われた陵内には立ち入ることはできないが、のどかな風景の中、共に日本国家の礎を築いた天武・持統両天皇が夫婦で今も仲良く眠っていると思うと実に感慨深い。

古代日本人の暮らしを味わう

名物「飛鳥鍋」

名物「飛鳥鍋」

この地方で育まれ、今も親しまれている料理がある。「飛鳥鍋」だ。飛鳥時代、唐から来た僧侶が寒さをしのぐためにヤギの乳で鍋料理を作ったのが始まりとされ、以来、1,300年以上にわたって受け継がれている。
現在では牛乳が使われるが、この地域では牛乳も飛鳥時代から飲まれていたという。中国大陸から伝わり、宮中でも牛を飼っていたとか。

老舗料理店「めんどや」の鍋コース

老舗料理店「めんどや」の鍋コース

万葉人も味わったかもしれない「飛鳥鍋」は、明日香村で100年以上続く老舗「めんどや」でいただける。井戸水を使い昆布やカツオでとった出汁に鶏ガラスープを合わせ、地元産の牛乳を入れた鍋は、クリーミーで牛乳のコクと出汁の調和が絶妙。具材の鶏や有機野菜も地元のものにこだわっており、ヘルシーで女性に人気という。鍋のコースでは柿の葉寿司などもふるまわれ、奈良の名物が一度に味わえるのも魅力。秋の味覚でもある奈良特産の柿製品は、お土産にもぜひおすすめしたい。

草木染め

草木染め

明日香村に、森林インストラクターの店主が営む「水谷草木染」がある。こちらでは、大判ハンカチやストールなどで古代の手法を用いた草木染体験を1時間30分~2時間で楽しめる。ビワやクリ、アカネなど、四季の草木を使って染めたハンカチやストールは、往時の人も装ったであろう自然の恵みが感じられる色合いで、しっとりと肌になじむようだ。

コスモス

歴史と共に花に彩られた奈良で締めくくる万葉の旅。古(いいしえ)の歌を味わいながら巡った一年、古代の人たちの想いを感じ、日本の新たな魅力を発見できた。皆さまにも同様に感じていただけたなら幸いだ。

次号から新シリーズ「The Stage日本の世界遺産、その舞台を訪ねて」が始まります。国内の世界遺産にフォーカスし、その地にまつわる逸話や歴史、食文化などを併せてご紹介します。どうぞご期待ください。