万葉歌人に愛され、万葉集に最も詠まれた地・奈良。1,300年の歴史を誇る古都・奈良は、旅の主人公、写真家・三田崇博氏が生まれ育ち、今も拠点としている地です。この感慨深い奈良の、数多い万葉集の舞台から今回ご紹介するのは日本初の都城・藤原京の中心部の跡地、藤原宮跡。花の名所としても知られるこの地を訪れたのは、コスモスの花が見渡す限り一面に咲き誇る秋冷の候でした。
藤原宮跡に咲く花を詠んだ歌をご紹介します。
藤原(ふぢはら)の
古(ふ)りにし里の 秋萩は
咲きて散りにき
君待ちかねて
(巻十・二二八九 作者未詳)
旧都・藤原の古さびた里の秋萩の花は、
もう咲ききって散ってしまいました
貴方の訪れを待ちわびて
300万本のコスモスが揺れる
三笠山から始まり万葉ゆかりの地を巡って早一年。「万葉を旅する」シリーズ最終回は、私のふるさとでもあり万葉集に最も多く詠まれた地・奈良に戻り、藤原京の宮殿があった藤原宮跡を紹介したい。
飛鳥時代、藤原京は現在の橿原(かしはら)市と明日香村にかかる地域にあった。橿原市は初代天皇といわれる神武天皇を祭る橿原神宮のある、歴史的に重要な場所だ。
藤原京は平城京や平安京にさきがけ、唐の長安にならい造営された。都の中央南北に朱雀大路(すざくおおじ)を通し、東西の大路と南北の大路で碁盤の目状に造る市街区画である条坊制を採用。日本初となる本格的な都として栄えた。694年からわずか16年間ではあったが、その規模は平城京や平安京をしのぐ日本古代史の中で最大の都であった。
現在、往時の面影を残すものはほぼなく、橿原市を代表する景観である大和三山(香久山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま))を望むばかりだ。万葉集にも頻繁に登場するこの三山に囲まれるようにして、都が造られたことがわかる。現在、藤原宮跡からの大和三山の眺めは重要眺望景観に指定されている。
藤原宮跡は歴史好きはもちろん、花の好きな方にもよく知られている。醍醐池と大極殿のあった場所を中心に、現在は花々が植栽された花園となっているのだ。コスモスの見頃は10月上旬から下旬で、エリアによってピンクだけでなく黄色や白の花も楽しめる。
春には一面黄色に染まる菜の花畑、夏にはキバナコスモスや11種類のハナハスが楽しめる。そして秋になると、醍醐池の南側には300万本のコスモスが咲き誇る。冒頭の歌では、秋萩が散ってしまった、と詠うが、残念ながら萩は見ることができない。しかし歌とは対照的に、私が訪れた時、コスモスがまさに見頃を迎えていた。大和三山に囲まれ、ピンクの濃淡に覆われる花畑は見事のひと言。吹く風にコスモスがゆらゆらとたおやかに揺れ、ほのかな香りを漂わせる。
持統、文武、元明天皇の三代が居住した藤原京。文武天皇を除く2人は女性天皇であった。可憐で清楚な花々を眺めているとなおさらに、宮廷の華やかな様子が目に浮かぶようである。
ところが、都が平城京に移ると一変、藤原京は荒れ果て、やがて田畑に変わっていったという。遷都後、何らかの事情でこの地に残った女性が詠んだといわれるのが、冒頭の万葉歌だ。都に移り住んでしまった男性への思いを秋の代表花、萩に託したのではないだろうか。萩は万葉集の中で最も多く登場する花。当時はとても身近な花であったのかもしれない。閑散とした都に咲いて散ってしまった萩の花に託して、胸のうちを詠んださりげないフレーズに、その切なさがひしひしと伝わってくる。