『万葉集』の中でも「越中万葉」として分類される歌が詠まれた越中の国、現在の高岡市。西は西山丘陵や二上山が連なり、北東には富山湾、東は庄川・小矢部川と、深緑と清らかな水に包まれた自然豊かな地域です。
写真家・三田崇博氏が高岡を旅したのは、仰ぎ見る立山連峰がまだ雪深く、白銀に輝く時期でした。
数多い越中万葉歌の中から、今回ご紹介するのはこちらです。
馬並(な)めて
いざうち行かな
渋谿(しぶたに) の
清き礒廻(いそみ)に
寄する波見に
( 巻十七・三九五四 大伴家持=おおとものやかもち)
馬を並べて
さあ、出かけましょう
渋谿の清い磯辺に
寄せる波を見に
万葉の時代から愛される
景勝地・雨晴(あまはらし)海岸
富山湾に面した高岡。市を代表する景勝地が雨晴海岸である。その名は、源義経が奥州に落ちのびる途中、この地でにわか雨が晴れるのを待ったという話に由来する。
風景写真を撮る人たちなら、雪を頂いた3000メートル級の立山連峰と雨晴海岸のダイナミックな構図に一度はチャレンジしたくなるだろう。私もその思いを叶えようと、まだ肌寒い季節だったが、高岡へと足を運んだ。
雨晴海岸では立山連峰越しに朝日が昇る。その瞬間を狙うことにした。夜明け、まだ雲が厚めだったが、幸運にも一瞬、雲間から光が差し込み稜線に朝日が昇った。私はすかさずシャッターを切った。ドラマチックで美しい朝焼けの一枚となった。(TOPページの一枚)
遙か遠く奈良時代にも、この景色を愛でた歌人がいる。746年、越中国府(現高岡市)に国守として赴任した大伴家持である。冒頭の歌はこの地で最初に開いた宴のときに詠まれたものだという。
歌にある「渋谿」は雨晴海岸を指す。馬を駆って、すぐにでも名高い景勝地に行ってみたい! という逸(はや)る気持ちが伝わる上の句からも、着任してすぐこの地に魅入られたことがうかがえる。
大伴家持は『万葉集』の編者であるが、全歌数4516首のうち、彼の歌は473首もあり、万葉歌人の中でもっとも多い。しかも特筆すべきは、越中国に赴任してから帰京するまでの5年間で詠んだ歌が223首。なんと半分近くが越中での作なのだ。
さらに、家持の部下たちが詠んだ歌や、この地に伝わる歌などを加えると、337首にものぼり、『万葉集』の中でも特別に「越中万葉」として分類されている。