太宰府天満宮

Cedyna News for Premium Members 2月号より

元号「令和」ゆかりの地として、あらためて脚光を浴びる福岡県太宰府市。その歴史は長く、「学問の神」と崇められる菅原道真公を祀った太宰府天満宮をはじめとする史跡、数多くの名所が人々を誘っています。
写真家・三田崇博氏もそのひとり。春まだ早いこの時期に太宰府を訪れました。

万葉集の中で2番目に多く詠まれたという梅の歌から、今回ご紹介するのはこちらです。

万代(よろづよ)に
年は来経(きふ)とも
梅の花
絶ゆることなく
咲きわたるべし

(巻五・八三〇 筑前介佐氏首=ちくぜんのすけさしのこびと)

いつの世までも
梅の花は 絶ゆることなく 咲き続けるでしょう

令和ゆかりの地に咲く梅

坂本八幡宮

令和ゆかりの地とされる坂本八幡宮。大伴旅人の歌碑が建立されている。

令和ゆかりの地、太宰府市。
元号・令和の典拠は、『万葉集』に収められた「梅花の宴」の歌三十二首の序文。大伴家持の父・旅人によるもので、宴は太宰府市・坂本八幡宮あたりにあった旅人の邸宅で行われたという。これが令和ゆかりの地といわれるゆえんであり、新元号発表以降、以前にも増して多くの観光客が訪れている。

大宰府政庁跡

大宰府政庁跡。往時をしのぶ礎石が残る。政庁跡も梅の名所として有名。

太宰府市はかつて「遠(とお)の朝廷(みかど)」ともいわれ、外交の窓口、軍事の拠点として栄えた(往時の姿は「大宰府政庁跡」に残る)。朝廷の使節だった遣唐使船が次々と海を渡った時代でもあり、当然この地にもさまざまなものが渡来した。その遣唐使が持ち帰ったものとされる中に梅がある。
凛とした姿、淡く高貴な花の色、芳(かぐわ)しい香り。先進国・唐の貴重な植物は、瞬く間に評判になり、国中に広まったことだろう。『万葉集』の中で、日本自生の萩は142首、次いで梅が119首と、2番目に多く詠われていることからも見て取れる。
上記に紹介した歌は「梅花の宴」の一首。私には、梅に託して、国も絶えることなく安泰であれという願いを込めた歌のように思える。

神木・飛梅(とびうめ)と
菅原道真公

菅原道真公の梅との別れの歌
「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な わすれそ」(出典:大鏡)。
春の東風が吹くようになったら、香りを届けておくれ、梅の花よ。 主人がいなくても、春を忘れないでくれ。

太宰府天満宮のご神木・飛梅

樹齢1000年を超えるといわれる太宰府天満宮のご神木・飛梅。

梅といえばやはり太宰府天満宮。ここにはなんと200種6000本もの白梅・紅梅が植えられているという。その中でも飛梅伝説として語り継がれている神木・飛梅はとくに有名だ。
政争に敗れ大宰府に左遷される菅原道真公が京の屋敷に咲く梅との別れを惜しみ歌を詠んだ。その意が通じたのか、梅は一夜にして飛んで大宰府の道真公のもとへ…。
その飛梅は本殿前にあり、境内で最初に咲く梅といわれる。例年1月下旬から2月中旬に開花するが、年によっては12月に咲くことがある。いつ撮影に行ったらいいのか悩ませてくれる被写体でもある。私は数年前、九州滞在中に満開の知らせを聞いて幸運にも撮影することができた。冒頭のタイトルでご紹介したのがその時の写真。正面からの撮影もいいが本殿内部(正確には側面)から柱越しに白い花が迫ってくる構図が気に入っている。

太宰府天満宮の
春の行事

曲水の宴
曲水の宴

太宰府天満宮の「曲水の宴」。

毎年、梅の見頃である3月第1日曜日には宮中行事を再現した禊祓(みそぎはらえ)の神事「曲水(きょくすい)の宴(えん)」が紅白の梅の下で行われる。「曲水の宴」は平安時代の宮中行事を再現した神事で、平安装束に身を包み和歌を作り御酒をいただく。白拍子(しらびょうし)の舞、神楽舞なども披露される。
他にも天神様の命日2月25日に梅花祭、参道周辺で行われる門前まつりなどがある。

文化の交差する地

梅ヶ枝餅

道真公ゆかりの梅ヶ枝餅。

太宰府天満宮を訪れたなら、やはり道真公ゆかりの梅ヶ枝餅は食しておきたい。薄くのばした餅に餡を包んで焼いただけの食べ物だが、焼きたてをいただくとびっくり。外はかりっと香ばしく、中の餡がほんのりあまい絶妙なバランスで、素朴ながら上品な味わいなのだ。お土産に人気なのも納得できる。
左遷され、日々の食事に事欠く道真公に、一人の老婆が梅の枝に刺した餅を差し上げた。この逸話がきっかけで、今の梅ヶ枝餅ができたといわれている。

笠乃家

参道脇に建ち、喫茶や食事処もある「笠乃家」では、つくりたての梅ヶ枝餅ならではのおいしさが味わえる。

梅ヶ枝餅は、唐から伝わった梅の文化がもたらしたものといえるが、他にも大陸から伝わり発展した食文化がこの地には数多くある。九州、とくに福岡のお土産としていまや定番となった明太子も、そのルーツが朝鮮半島の明卵漬にあるのはよく知られている。
他にも、栄西(えいさい)禅師が宋から経典とともに薬草として持ち帰ったお茶の栽培が佐賀で始まり、同じく宋で修行した聖一(しょういち)国師が水力による粉ひきの技術を博多に伝え、うどん・そば・まんじゅうの粉食文化が広まった…など。日本人の生活に欠かせない食文化の数々がここ九州で定着したことは感慨深い。

神木・飛梅のもと
悠久の歴史を想う

満開の梅

古くから文化交易の要衝であった九州。その遙か悠久の歴史を満開の梅の香りとともに今、あらためて味わってみたい。