Cedyna News for Premium Members 12月号より

山頂からの眺望はすばらしく、一年を通して登山家が足を運ぶ高見山。
万葉集にも詠まれたというその山を写真家・三田崇博氏が訪れたのは、樹木が氷を纏い、いっそう美しい雄姿を見せるという厳冬時期。樹氷は氷点下5度以下、弱風のもとでなければ生まれないといいます。

高見山が詠まれたという歌はこちらです。

吾妹子(わぎもこ)を
いざ見の山を
高みかも
大和の見えぬ
国遠(くにとほ)みかも
(巻一・四四 石上麻呂=いそのかみのまろ)

わが妻をいざ見ようとしても
いざ見の山とは名ばかりで
山が高すぎるのか
大和が見えない
それとも国が遠くなったのか

冬の自然造形美
高見山の樹氷

三重県と奈良県の県境に位置する高見山。麓から見てその尖ったような山容から“関西のマッターホルン”の愛称で親しまれており、多くの登山客に愛されている。奈良から伊勢に向かう旧伊勢街道にあり、かつては「いざ見の山」とも呼ばれていた。

冒頭の歌は持統天皇の伊勢行幸に従駕した、後の左大臣・石上麻呂の一首。大和に残してきた妻を心に思うことで、旅の不安と緊張を鎮めようとした歌だともいわれている。

青空と陽光を受けて輝く樹氷

青空と陽光を受けて輝く樹氷。奈良県側からは、登山口まで行ける樹氷観光のバスが出ている。

そんな高見山の冬の風物詩が樹氷だ。
私は日の出とともに装備を整え、朝食を済ませて雪に覆われた登山道を目指した。標高1248メートルだが、一部急斜面もあり、相応の準備をして臨んだ。駐車場からは片道1時間ほどの行程だが、雪に足をとられるため思っていた以上に時間がかかる。

標高が高くなるにつれて木々が白色に変化していく。冬山の天気は安定しないのだが、この日は晴れ上がり陽に照らされて輝く樹氷と、青空のすばらしさを堪能することができた。シャッターを押すこともしばし忘れ、ただただ自然の美しさに見とれてしまうばかりだった。

下山後、
真っ先に向かった極上湯

日帰り温泉いいたかの湯

道の駅「飯高駅」内、日帰り温泉いいたかの湯。内湯、露天風呂のほか、蒸し湯、マキ風呂、薬草風呂などがある。

朝早くからの登山で凍てる体を温めるため、下山後、道の駅「飯高駅」にある天然温泉「香肌峡温泉 いいたかの湯」へと向かう。
山間部の温泉施設だけに、自然に囲まれた中で浸かる湯は極上で、登山の疲れを吹き飛ばしてくれる。

伊勢商人が
つむいだ文化

松坂城の石垣

松坂城の石垣。松阪の繁栄は1588年、織田信長と豊臣秀吉に仕えた蒲生氏郷による松坂城築城と楽市楽座の推進より始まった。

リフレッシュしたところで一路松阪へ。松坂城の城下町として栄え、江戸時代には大阪・近江と並ぶ日本三大商人、伊勢商人を輩出した商業の街、そして現在は、言わずと知れた松阪牛の街として有名だが、私はまず「小津安二郎青春館」を訪ねた。世界で評価される映画監督が青春時代に暮らした場所で、小津映画の原風景を体感できる貴重な記念館だ。

小野安次郎青春館

小野安次郎青春館。

その小津安二郎だが、意外なことに伊勢商人の系譜だという。伊勢商人といえば呉服商の越後屋(後の三越)がよく知られているが、紙店(かみだな)、木綿店で財をなした小津清左衛門(せいざえもん)家も地元では有名で、市の指定史跡「旧小津清左衛門家」として建物が一般公開されている。

旧小野清左衛門家

旧小野清左衛門家。

さらに意外なことに、江戸時代に日本古来の美意識“もののあはれ”を説いた国学者・本居宣長も別の伊勢商人・小津家の系譜というから驚きだ。
こちらも野面積(のづらづ)みの美しい石垣が残る松坂城跡の中に、移築された本居宣長旧宅と共に「本居宣長記念館」が建つ。

本居宣長記念館に隣接する旧宅・鈴屋

本居宣長記念館に隣接する旧宅・鈴屋。記念館は“もののあはれ”について書かれた資料「石上私淑言」を所蔵。

市内のスポットを巡り終えた後は、やはり松阪牛。
ステーキならではの肉の旨味も捨てがたいが、すきやきのとろける食感と舌に広がる霜降りの柔らかな甘みもまさにここでしか味わえない。松阪を訪ねたら、ぜひ迷っていただきたい。

幻想的な風景が広がる
高見山の絶景

御船の滝

奈良県側には氷瀑で有名な御船の滝がある。

松阪に宿をとった翌日、どうしても夕日の高見山を被写体にと思い、再び登山を試みる。山を登っているのは私ひとり。

夕日の樹氷

夕日の樹氷。

頂上付近は風がめっぽう強い。その風で同じ方向から飛ばされた雪や水滴が木や岩などに積み重なり長く伸びた形から“エビのしっぽ”と呼ばれる樹氷がつくられ、幻想的な冬の光景が展開される。

日没。刻々と変化する大自然。暗くなる前に下山しなければならないが、凍てつく寒さも忘れ、自然の織りなす神々しく輝きに満ちたその美しい一瞬一瞬を心とカメラに刻み続けた……。